亀岡生まれの偉大なる芸術家
◆年表
明治4年 京都府南桑田郡(現、亀岡市)穴太で生まれる。
昭和23年1月19日昇天 享年77才。
明治31年旧2月『高熊山修行』、王仁三郎聖師の宇宙観は生誕の地、亀岡穴太の高熊山の修行によって確立する。27才の早春、7日間神霊界を探訪する。その時、神の意思(本来この地上を楽園として創造した)をこの地上に実現化する使命が王仁三郎に託されていたのである。
大正10年『霊界物語』、出口王仁三郎聖師は、人類の危機を救うため、81巻にわたる「霊界物語」を口述する。『芸術観』「芸術は宗教の母なり」と王仁三郎師の芸術観を表現した言葉である。「洪大無辺の大宇宙を創造したる神は大芸術家でなければならぬ。天地創造の原動力、これ大芸術の萌芽である」とのべた。さらに「芸術と宗教」の一体を説くとともに、自ら、自然を愛し芸術に親しんだ。文筆、絵画、書、陶芸、短歌など多岐にわたり芸術的才能を発揮し、その作品は膨大な数にのぼった。それら作品の中で、もっともつよく人々を驚嘆させたのは、晩年に全精力を注いだ手造りの楽茶琓・耀盌であった。
昭和24年(1949)2月6日加藤義一郎氏(評論家)が金重陶陽氏(備前焼人間国宝)宅でこの茶碗を初見して驚嘆、当日の列車の中で、これを「耀盌」と命銘したという。のちに耀盌をはじめとする作品は、欧米6カ国の13都市において開催された「王仁三郎とその一門の芸術展」で展示され、大きな反響をよんだ。★「出口王仁三郎」参考。
◆耀盌について 出口直日(談)
「父(王仁三郎)の耀盌は、陶車によらず手造りで、父の全霊を指先に集中して、一指、一指から、土の一塊一塊に念力を移しつつ、その一瞬一瞬に、地の上に神の国をさだめまつる祈りをこめて、たんねんに形造ったものです。
盌体の持つ豊かな広がり、神界の輝きそのままの色彩、天象の紋理をひめたこまやかな刺孔(簓であけられた穴)、たしかに父の祈りは生き生きとしています。」
耀盌の無数の小さな穴は、特別に作ったササラのもので、一念一突、聖師が「惟神霊幸倍坐世・かんながらたまちはえませ」の言霊をこめられながら打たれました。
◆前期楽焼 大正15年2月から昭和10年
一番最初の楽焼は、大正15年(1926年)1月24日に王仁三郎が買い物で京都に行った際、大丸百貨店で即席の楽焼窯が催されており、王仁三郎は自ら絵付けをして焼いた茶碗を10個ほど持ち帰った。茶碗の外側には「光照」と文字が揮毫されてあり、光照殿の完成記念として配ったようである。これが王仁三郎が楽焼を始めた最初とされる。
当初は素焼きの茶碗を大量に購入し、王仁三郎が絵付けをして、電気窯で焼き上げるというスタイルで作陶が行われていた。
昭和4年(1929年)7月20日に天恩郷に楽焼製作所の「清楽舎」➡「蓮月庵」が竣工する。その隣に楽焼窯が作られ「亀楽窯」と命名された。この亀楽窯を作ったのは京都清水の陶工の佐々木吉之介(佐々木松楽の父)である。
前期の作品で特筆すべきは「斎入(さいにゅう)」である。大正15年2月6日に天恩郷に電気窯が入った。2月8日から12日にかけて斎入が生まれた。
斎入とは粟状の粒々が内も外も全部一緒に盛り上がり、光によって変化しつつ、微妙に輝いている。十個は内外両面に素晴らしく出ており、十五個は内面だけ、五個は一部分だけでており、合わせて三十個である。現存するのはほんの数個である。
王仁三郎は前期の作陶の時から「茶琓」という文字を使っている。
※前期楽焼の作品は、第二次大本事件で両聖地はもとより全国の信徒宅を捜索した警察によって没収され、あるいは破却されて、今日ではわずかしか残っていません。
◆後期楽焼(前期耀盌・後期耀盌) 昭和19年12月末から昭和21年3月
第二次大本事件で投獄された王仁三郎は、獄中にいる時から、楽焼茶碗で天国の姿を表現したいという意欲を持っていた。京都清水の窯元・佐々木松楽の協力で昭和19年(1944年)12月28日に下焼きがなされた。年が明けて昭和20年元旦に、その茶碗に染筆、1月3日に釉薬を塗り、約60個の楽焼茶碗が完成した。これが後期楽焼作陶の始まりである。
以後、王仁三郎の手造りの茶碗作りがほぼ連日続けられた。耀盌の誕生である。
作業は昭和21年(1946年)3月に36回目の窯出しをもって終わりとなった。耀盌の個数については3000個以上と推測されている。
耀盌には王仁三郎が命名した「天国廿八」など天国シリーズの銘が付いているものがある。共箱で在銘ものはほんの一部である。
※「耀盌」は王仁三郎が命名したのではない。陶芸評論家の加藤義一郎の命銘である。
加藤氏が昭和24年(1949年)『日本美術工芸』3月号で「耀盌顕現」という記事を書いている。
★高熊山は亀岡市曽我部町にあり、市の中心部から西方へ車で約15分くらいです★
資料
「出口王仁三郎 詳細年譜」
「出口王仁三郎 印譜集」
「大本教 人名辞典」