NO.22

出口直日絵付け 練上手茶碗

京都府亀岡市の花明山窯、京都府綾部市の鶴山窯

口径 : 14.5cm  高さ : 7cm
無傷・美品 花明山窯共箱  ↓下に移動







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明治35年(1902年)、京都府綾部で、出口王仁三郎と二代教主出口すみ(澄)の長女として生まれる。昭和3年(1928年)高見元男(三代教主補出口日出麿、1897年 - 1991年)と結婚する。
昭和27年(1952年)の教主就任後は独善的・観念的におちいりやすい信仰生活者をいましめ、「脚下照顧」を旨とした教風をうちたてる。
幼少より日本伝統文化に精進した。書道・茶道・能楽・短歌・八雲琴・陶芸など、たゆみない習練を続けて来た体験から、日本の伝統文化の世界的地位を説き、日本民族としての誇りと自覚を高め、高い教養を身につけ、生涯精進をおこたらなかった。
信徒はもとより文化人を招き清談を交わすなど、“花鳥風月”を友とし身をもって日本の心を説いた。
平成2年(1990年)9月23日、88歳で逝去。

直日に初めて陶芸の手ほどきをしたのは金重陶陽である。
手ひねりのぐい呑100点を作って窯(瑞月窯)と作業場も整えられ、陶芸への本格的な歩みが始まった。
その翌年には京都の清水にあった本格的な登窯を陶芸家の宇野三吾から寄贈されて、亀岡の「天恩郷」に築かれた。「花明山(かめやま)窯芸道場」という名の作陶場も開設され、花明山窯築窯当初から今熊野蛇ヶ谷に住んでいた石黒宗麿が指導にやって来ており、石黒宗麿が轆轤を教えるなどした。石黒は鉄釉陶器や磁州窯の白化粧、赤絵、呉須絵、練込手など、さらに李朝系や唐津風の焼物などを指導しているが、これによって陶陽や素山の作風にも影響を与えた。
こうして金重陶陽はじめ、金重素山・宇野三吾・北大路魯山人・荒川豊藏・河井寛次郎・小山冨士夫・加藤唐九郎など日本の陶芸界を代表する作家が数多く集まるようになり、陶芸文化サロンとなった。





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