上瀧七五郎 貴重な資料



上瀧七五郞   大正4年(1915年)1月の情報


*職業      上瀧合名会社代表・横浜の貿易会社・豪商
*生年月日    文久3年2月3日 (1863年)
*詳細
  生家は代々筑後国北野、先代上瀧茂吉の二男にして文久3年2月3日
  を以て生れ、明治34年12月分家して一家を創立す。
  動力に依る麻眞田製造法を案出し独力其製造に從事して巨利を博す。
  明治38年上瀧合名会社を組織し、以来其の代表となりもっぱら事業
  の発展に努む
*住所       橫浜、山吹町二ノ六
*読み       かみたき しちごろう

















大正10年五月二一日、大正日々新聞社の社長に横浜の
豪商上滝七五郎がなる。  (大本七十年史 上巻より)



大正13年





















聖師の箱書・拇印

亀岡の天恩郷では、毎月の旧三日に道院の老祖神の
月次祭がおこなわれたが、これは道院の神だけでなく、
各宗祖の月次祭として世界平和実現を祈願するまつり
である。(大本七十年史)

お筆先では、王仁三郎にかかっていた神霊は、坤の金神、
素盞嗚尊、小松林の霊はすべて、みろく様の系統であり、
それがなおにかかる国常立尊よりも尊貴な、天の神様
「みろく様」であると示された。





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