出口なお・出口王仁三郎 作品へ


☆ 是非、この頁をご一読ください ☆

展示品について



真作・本物の珍しいものだけを吟味して仕入れております。昨今、いろいろなサイトで耀盌の贋作・偽物が出回っております。心苦しい限りです。

当方の仕入れのほとんどは、大正時代から昭和時代に聖師の側近として活躍された方・聖師に共感して大きな支援をされた信徒の方・聖師の教えに感動しその価値観に共感した信徒の方 、そのような信徒の子孫の方からお譲りいただいております。

また、他サイトなどで「あまり評価がされていないものや状態の良くないものの中で、珍しくて良いと思う作品・目に敵う作品」があれば仕入れております。状態の良くない書画は、後世に永く伝わっていくようにと奇麗に表装をいたしております。


長年の間、聖師の作品をお取り扱いさせていただきました経験上、自信をもっての目利きで買受評価をいたしております。

当展示会に於いて、安心して本物の作品をご購入いただけるように橋渡しができるようにと強く思っております。




※聖師は楽茶碗の箱書きに「楽茶琓」と書かれております。


耀盌 (耀琓)



聖師資料引用
王仁三郎聖師の作品の中で、もっともつよく人々を驚かせたのは、晩年に全精力を注いだ手造りの楽茶琓 であった。

昭和47年(1972年)から渡欧米。
耀盌をはじめとする作品は、欧米6カ国13都市における海外芸術展「王仁三郎とその一門の芸術展」で展示され大きな反響をよんだ。


耀盌命名
昭和24年(1949年)2月6日、陶芸評論家の加藤義一郎が金重陶陽(備前焼人間国宝)宅で「天国二十八」「御遊」の茶碗を初見して驚嘆(フランス油絵のような鮮やかな色彩美)当日の列車の中で、これを「耀盌」と名付けたという。
加藤義一郎が昭和24年(1949年)『日本美術工芸』3月号で「耀盌顕現」という記事を書いている。


☆参考資料へ➡【大本と芸術(新聞連載コラム)】 ※こちらのサイトは当方とは関係はございません。





「耀盌」とのご縁は30年ほどになります。その間、60茶琓余りのご縁をいただいてきました。

今回の展示品は、天国三十五をはじめといたしまして奇麗な耀盌ばかりです。

「耀盌」の作品集に掲載されているものもございます。所載の作品には本をお付けさせていただきます。





箱書・共箱について
「前期楽茶琓・前期耀盌」などには聖師の箱書があるものが多少ございます。

「後期耀盌」のほとんどのものには聖師の箱書・共箱はございません。のちに出口すみこ二代教主・出口直日三代教主が極めや在銘を箱書されております。

全ての天国シリーズの耀盌には、王仁三郎聖師が「天国の銘と箱書」をされています。共箱になります。大変に貴重な尊いものです。

聖師が天国の名をつけられ、共箱をつくられたのです。「耀盌の中の耀盌」、故に天国シリーズは別格だと思います。





「天国三五」
王仁三郎聖師による「天国三五の在銘、箱書、箱に拇印」全てがございます。

この耀盌を所蔵されていた方は、永年にわたり「世界平和」など王仁三郎聖師の教えを耀盌を通して少しずつ広めてこられました。






後期耀盌の作陶期間1年とすこしです。作られた数は3000個余りです。作陶より100年の時が経ち、現存するものは当初より少なくなってきてると思います。

現存する「耀盌」の中でも特に色具合の奇麗な保存状態の良いものとの出会いはごく稀です。出合いに感謝しております。

※王仁三郎聖師の教えが広まると共に、「耀盌」の評価もかなり上がってきております。

昔から耀盌の中には国宝級になるものがあると言われています。近い将来に「日本の至宝」として、その存在が貴重視されるようになればと思います。崇高な芸術作品の楽茶琓「耀盌」です。

聖師がささらに気をいっぱい入れられて作られたものです。凄いエネルギーが満ち溢れております。

耀盌にお水を入れて飲まれると、体調が良くなり人生観も変わると言われ続けております。


書・画 掛軸



書の「お筆先」「光」「天光祥雲 地溢瑞気」は、明治38年・大正から昭和の初めに書かれたものです。

出口なお開祖、王仁三郎聖師の大本の書として最高のものです。これだけの大きな書が掛軸になっております。迫力・気の力が溢れております。
これだけの大作のものは初めてご縁をいただきました。

画の「観音さま」も筆致がよく生気がみなぎっております。観音さま図の中でも優れたものです。

今回、書画に関しましても状態の良いものばかりを吟味いたしまして、展示いたしております。






「お筆先」
出口なお開祖のお筆先の本物を出品いたしております。「お筆先」は半紙で20万枚以上も書かれたと言われております。
そのほとんどが燃やされたり、第二次大本事件の弾圧で焼かれたりしてほとんどが残っていません。

「お筆先」は半紙に書かれたものがほとんどで、半紙以外で大きなものに書かれたのは極めて少ないです。

のちに信徒さんにより写経のように書き写されたものが数あるようです。「お筆先」として間違って出ているものもございます。一般の方では違いを判るのは難しいと思います。

今回、展示の「お筆先」は大作で凄く立派なもので王仁三郎聖師の極めの鑑定箱書もございます。
もう一点は、大信者の方からのものです。こちらも真筆です。


「光」
聖師の多くの書籍に掲載されております代表的な「光」の書と瓜二つ(うりふたつ)と言えるものです。たぶん同じ時期に書かれたものでしょう。大きくて迫力満点です。最高のご神体「光」です。


宗教書籍引用
※宗教において、「光」は普遍的なシンボルであり、神や仏の存在、智慧、慈悲、救済を象徴しています。光は、迷いを打ち破り、心を清め、希望を与え、心の闇を照らし、真理や悟りへと導く力があると信じられています。

※多くの宗教で「光」は重要な象徴として扱われております。
仏教では仏の智慧や慈悲を、キリスト教では神の存在や救済の光を、そして神道では神々や自然の恵みを表現する言葉として「光」が使われています。


「天光祥雲 地溢瑞気」
「天に光が満ちあふれて良い兆しがある。地にめでたい気が満ちあふれている。」


当時、所蔵されていた方は、大正時代から昭和初期に聖師とかなり懇意にされていた方で、小笠原諸島の開拓にも関わった資産家の方です。聖師が買いとられた新聞社の社長・役員もなされた方です。
その信徒の方のお孫さまがお歳になられ、作品をお守りすることができなくなったため、大切にしていただける方にご縁を頼まれました。


短冊帖(歌・書・画)



歌や画で50枚・100枚揃いのものです。


前期楽焼・後期楽焼について



昭和10年12月の第二次大本事件をはさんで前期と後期の二期に分けられています。


前期楽焼◆ 大正15年2月から昭和10年まで

※初期の頃は、素焼きのお茶碗を大量に仕入れられて、その茶碗に絵付けや書を描かかれました。

前期耀盌の作陶は昭和4年7月に天恩郷に王仁三郎専用の陶芸作業場と窯場が完成し始まる。

※前期楽焼(前期耀盌)は、第二次大本事件(昭和10年12月)で綾部・亀岡の両聖地はもとより全国の信徒宅を捜索した警察によって没収され、あるいは破却されてしまい、今日ではわずかしか残っておりません。
前期耀盌は後期耀盌の礎となる手づくりの楽茶琓です。


後期楽焼=後期耀盌◆昭和19年12月から昭和21年3月まで

※作陶期間は、わずか1年3か月ぐらいです。3000個余りが作られました。

※聖師は耀盌を後世のために芸術として作られました。ご神体として崇められています。


耀盌から白い光「気」が出ております。

耀盌


その他



表示価格には、消費税・送料は含まれております。

撮影時の照明により画像と作品との色合いが若干異なる場合がございます。

是非とも、ご来店いただいて作品をご覧いただければ幸いです。

ご来店の際には、必ずご予約をお願い申し上げます。突然お越しになられた場合には、店主が留守でご覧いただくことをお断りすることもございます。ご了承くださいませ。






みなさまに良きご縁となられましたら幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。